馬路村公認むらの案内人クラブ 会長 清岡博之さん

馬路村公認むらの案内人クラブ 会長 清岡博之さん

高知の山の中。馬路村をガイドする村の案内人

高知市内から2時間ほど車を走らせた場所に位置する馬路村は、標高1000メートルクラスの山に囲まれており、日本三大杉美林のひとつである魚梁瀬杉の伐採や運搬など、林業が盛んだった村です。1911(明治44)年から1963(昭和38)年までは、中芸地域(馬路村、北川村、奈半利町、田野町、安田町)一帯を環状につないだ魚梁瀬森林鉄道、通称「りんてつ」があり、西日本最大の規模を誇っていました。1960年代以降は林業の代わりとなる産業として、馬路村ではゆず栽培を始めました。

現在はゆずの名産地としても知られており、馬路村の代名詞とも言えるゆずはちみつ飲料「ごっくん馬路村」やぽん酢しょうゆ「ゆずの村」などの特産品は全国から注目を集めています。

村の案内を行う馬路村公認むらの案内人クラブは、2010(平成22)年から活動を始めました。
会長の清岡博之さんは、ガイドの申し込みがあれば、魚梁瀬森林鉄道の遺構を巡るウォーキングや千本山登山、ゆずの収穫時期の収穫体験など、いろいろなパターンを考えながら、お客さんへコースの提案をしています。県外からのお客さんであれば、村まで来る道中のおすすめの立ち寄り施設など、高知を発つまでのプランもご紹介しています。

「コースは、お客さんの希望に沿ったプランを試行錯誤し、できる限りの案内をしているつもりです。『去年も来ました。』、『今回で5回目です。』と何回も個人や家族で来てくれる方がいるんです(笑)。」と嬉しそうに話してくれました。

案内をする上で意識していることは、「お客さんと一緒に会話をするということです。例えば、道端に数珠草(じゅずぐさ)が生えていたら、『この草はなにか分かりますか?』と私のほうから問いかけをして、お客さんに答えてもらう。歩きながらガイドをする際は、その季節によって、見たり、触ったりできるようなものを拾い上げて話をするように努力をしています。顔の表情が見えるように基本的に帽子はかぶりません。それとマイクは、お客さんに少しでも近づけるように持たないというのもポイントですね。」と教えてくれました。

馬路村のことをお客さんに、より深く知ってもらうため、馬路村公認むらの案内人クラブのみなさんは、林業が栄えた頃を体験している80歳代、90歳代の村民の方に当時の生活の話などを聞き、資料を作ったり、記録写真を撮ったりもしています。今は村外に住む会員さんもいるそうで、清岡さんは「馬路村や特産品のことなどの勉強もしてくれていますし、村外にアピールする努力もしてくれています。」と言います。

馬路村の魅力を聞いてみると、村人と森林鉄道が自慢だと言う清岡さん。
「馬路地区は、だいたいの人が普段どこにでも出かけられるような服装をしていますが、そこから奥の相名地区や魚梁瀬地区で暮らす人たちは、農作業服を着て生活を送っています。ぜひ、奥の地区まで入っていき、田畑でクワを持っているおじいさんやおばあさんに声を掛けてみてください。村での暮らしぶりや馬路村の昔の出来事などを話せる村人が今も元気に暮らしています。」

そして、もうひとつの自慢である森林鉄道は、開通してから100年以上が経っています。当時は木材を運ぶだけでなく、生活を送る人々の足としても使われていました。今はその役目を終え、ゆず畑の風景が広がる「ゆずロード」として生まれ変わっています。

橋梁や隧道などは、国の重要文化財に指定されており、2017(平成29)年には、中芸地域の遺構や食文化、歴史、伝統行事など48の構成文化財とストーリーが日本遺産に認定されました。

清岡さんがお客さんに願っているのは、「私たちが馬路村で暮らしている、暮らしつづけていることへの良き理解者、共感者になって頂けたら嬉しいですね。そうなってもらうためにも、私たちは村を案内し、ここでの暮らしぶりや、生活を送る人たちのありのままの姿をお見せしています。」

馬路村には森林鉄道の遺構やゆず以外にも、国の指定重要文化財である金林寺薬師堂や樹齢200~300年ほどの天然杉が林立する千本山、にほんの里100選に選ばれた相名地区の田園風景などがあります。お越しの際は、まず、馬路村ふるさとセンターまかいちょって家(馬路村公認むらの案内人クラブ事務局)へお立ち寄りください。村のことに関してはもちろん、特産品の購入や観光案内の予約もできます。

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